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いじわる
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森村 泰昌 「美の教室、清聴せよ」展をみて
熊本市現代美術館にて、森村 泰昌美の教室、清聴せよ」展を観て来ました

先程、書いていた文章を見事綺麗さっぱり消してしまい
落胆の意を隠せないわたくし

何を書いていたかすらも思い出せないくらいの長文でありましたので
再現不可能なのでございますけれども
再び、一から書き直す所存であります(しかし、かなり簡潔にまとめさせて頂きます)


ナルシシズムを基盤としたへの肉薄

今この一文を打ち終えて事例紹介や比較といった作業をしなければならないと思うと正直この一言で終わらせたい気持ちでいっぱいなのですがちょっとだけ頑張ります

ここで通常のナルシシズム森村氏のナルシシズムの特徴とその差異について事細かく論説したいところですが如何せん覚えていないということと一から言葉を用意するには私の回らない脳が拒否反応を繰り広げるカオス状態な訳なのですけれどここはそんな消去したとか忘れたとかいう事情を話したところで論破出来ない事は必至なので諦める覚悟をしましたはい舌を噛み切って割腹を図りますので介錯人には有段者を指名してもいいですかキャンセルは何回まででしょうか延長は15分刻みでも可能でしょうかっていう具合に顔色を伺いたい年頃です

嗚呼、面倒臭い
森村氏の、自己を身体の表面に見出し、尚且つとりわけ顔面に集約させている点に、特徴が見られる訳ですが
通常のナルシシズムが自己存在に於ける顕示欲と関連性が高いとすると、森村氏のそれは特に表面に集中されていると思われるのですが
それは最後の三島由紀夫に扮した演説映像作品で、三島のヒロイズム的マゾヒスティック、それに対するフェティシズムと同じかほりがする訳ですが(三島由紀夫は元々自殺願望があったのではないかと思われる。老いる事に対する恐怖、老いるという事が主に身体的変化の色が強い事から肉体の表面に対する関心が高いという点で森村氏と三島由紀夫の関連性を見る事ができる。横尾忠則氏の三島由紀夫肖像画シリーズはまさにそれをしく描いている。あの作品群は壮絶だ。※そして今回の「美の教室、清聴せよ」展ではレンブラントシリーズが数点展示されていたのだが、レンブラントは自画像の画家である。)
森村氏の身体の表面に対する関心というのは化粧一つとっても一目瞭然であったのだが
への肉薄という点に於いては
通常のナルシシズム(通常の、という表現は多いに間違えている。が面倒なのでそれについては書かない)が自己の中に美を見出すとすると、森村氏のナルシシズム的態度というのは少し違う
森村氏の名画の中の登場人物に扮して撮影をするという作業は、美が常に自分の外にあって、他の存在としての美に近づくという事なのでないかと
身体の表面的関心は単純に自己偏愛を思い起こさせるが、美がどこにあるかというと、森村氏の場合自己の中でないのではないかとそういう事である
美を自己の中に見出すキリスト教的探究の印象が強かった森村氏だが(それはおそらく使われる名画の殆どが西洋絵画という事からと思われるが)最後の三島由紀夫に扮した演説は同時に森村氏自身に向けられたものかもしれないとも思ったり

を自然(≠人間)の中に見出すという日本人の本来の自然(美)に対する畏敬の念と
森村氏の自己を美へ鏡映し理想化する事でそれに重なりたいという少しばかりのリピドーと、フェティシズムを見たという感じだろうか

生々しい生理的嫌悪感を伴った感動だったのだが
(勿論それは賞賛という意味である)
そこにいないのに生々しさをもって私の中に入って来たリアル感→嫌悪感という展開は防御本能を取り除くと快楽なのである



簡潔にまとめ過ぎましたがブラウザの戻るボタンは全てを戻してくれると思っていたのに!
読まれる事よりも記録する事が重要なので、この何倍ものあった長文を消してしまったのはちっとも気持ちよくない!


熊本港

いじわる
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thema:ひとりごとのようなもの - genre:日記
















 

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