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ちゃんと掴むこと
また新しいカメラがRICOHから発売です。
でも、多分私のことだから購入はしないでしょう。
それよりも、もっとGR2をちゃんと真面目に使いこなそうと思いました。
例えばノイズリダクションとか、低感度の際には使わない方がいいのかもしれないし(今はマイセッティングで常時ノイズリダクションをONにしているのです)
GR2になって、ADJ.レバーがころころスクロールじゃなくなったことから、アップダウンダイヤルで絞りを変更することで対応することが多くなったお陰で、写りも少しは変わったような気がする。
やっぱりコンデジの良さって機動力にあると思うんだけど、ついついシャッター切るまでの短い間に手間をかけないか、というスピード重視の撮影方法のせいで、マニュアルモードであるにもかかわらず、絞り固定にしちゃってるところがありました。
撮影の時間帯はなぜか夕方とか夜が多かったりするので、絞りを全開にする癖がついてしまっていたようです。
これから昼間などに撮影する時は、キュッと絞りを締めて、シャープに写してみたいな、なんて思っています。
カメラのこと、分かっていない私なので、もうちょっと一眼持ったりして使いこなせるように頑張ります。(アナログのCanon EOS55はもう埃かぶって何年も触っていません)

書き込みが早くなったということもあり、カラーブラケットは常にONで撮影していて、白黒(TE)も楽しんじゃっています。
インターバル撮影にも今度挑戦してみようと思っています。コンセプチュアルにね。

カメラはやっぱりメカに依るところがあるので、クリエイティブっていう面からすると、マニュ(例えば筆とか粘土とか)に比べると程遠いな、と感じます。
そういう意味では、やはりより良いモチーフを求めてフットワークの軽さがものを言うし、コンセプチャルに撮影すべきかな、とも思いました。
自分の『手』から離れて、『モノ』(創造物)となる時に、かかる行程、隔たりがあればある程、『肌』から遠くなるのだ、と感じます。
これを制するのは至難の業であるし、つまり迷いの行程であるようにも感じます。
良いモチーフ、コンテンツを求めて奔走する、これが一番カメラに会った表現方法なのだと写真展などを通じて感じるところがありました。
例えば、毎日自分の手を撮影するくらいなら、手描きの方がよかろう、といったように、インターフェースとなる部分の影響が、『手』と『創造物』との距離に比例しているような気がするのです。
つまり歩き回ることを選ぶならば、筆よりもカメラを。
日々の自分の手を記録するのであれば、カメラよりも筆を持つのがよかろう、という意味です。
距離とは、対象となるモチーフとの距離です。それに比例しているのでは、ということです。

そんなことを言ったところで、デジタルという時点で既にカメラメーカーに写させられてるだけであって、私はただ選択しているだけなんでございます。
それでも私にとってのカメラの存在価値は、それで充分果たしているので、全く不満はないのだけれども。

もっと集中しなければ、前が見えませんね。
これは、カメラに翻弄されて、できあがったモノに集中できないのと同じで
人生に於いても然りで、仕事や会社、また世間に翻弄されて自分の一度きりの人生がなおざりにされてはならない、とも思う訳です。

今日は、どうやって生きていこうか、ということで
目標ができた一日でありました。
気分屋で、体力もない安定しない私なので、実現するかどうかは分かりませんが
これなら実感をもって歩んでいけるのかもしれない、というものだったので
練ってみてもいいのかな、と。
それを実現するためにも、まず目の前のことから、集中して着実に噛み締めて踏みしめていきたい。

まずは、目の前の仕事
また、カメラ
いいところはどんどん盗んで自分の身にしていかなければ。

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いじわる
いじわる第三の目   0 0















 

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