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いじわる
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【第7回ヒロシマ賞受賞記念 蔡國強展】対談【覚書】@広島市現代美術館
『覚書』と書きつつも、着実に記憶を現在進行形で喪失し続ける今現在ですけれども
宣言してしまったので、なんとなく覚えている範囲で、尚且つ今思い出せる範囲で書き記そうと思います。

蔡國強という人の紹介はここでは敢えてしません。
浅田彰という人のことも。

浅田彰氏は、広島市現代美術館学芸員のセッティングではなく、蔡國強氏のご指名のようでした。
蔡國強氏もさすがお目が高いな、というかかなり難しい人を、と思ったら『私の拙い日本語と、浅田さんの難しい感じでなんだか分からない話になって、面白いんじゃないかと思ってお願いしました』と笑いながら紹介されたのだけど、こうした丁寧に謙遜しながら相手をちゃんと上げるのはなんだかとても日本的だと思いながらも、こうしたユーモアは外国人的でもあり、緊張に包まれた満員御礼の会場も一気に和んだ(最前列だったので正直なところ会場がどんなだったかとか把握せずだけど(笑))。

蔡國強氏は、話し始めると止まらないが、話さないと話さない人だったので、それは瞬時に浅田さんが華麗に進行される、というバランスで。
そのバランスって、でも凄くアンバランスなんだけど、浅田さんの柔軟さがどこに投げられた球も打ち返すといった具合で、何度も『おおぉぉ』と関心するところがありました。
と言っちゃあ、まるで蔡國強氏がとんでもなくKYな会話進行のように聞こえてしまうけれども、勿論そうではなくて。
日本に14年?住んで活動されていたということもあり、日本語も流暢で、考え方やセンスも結構日本的なところがかなり見られた。
特に、侘び寂びというか(中国から輸入された感覚ではあるかもしれないけれど)余韻や空気感を味わうことを非常に重視し、微妙な意味合いや、その違いを繊細に感じる日本的なところや、その言語化は本人も言われていたように日本で吸収されたところなのだろう、と思った。

浅田氏は『スペクタクルであり、アンチスペクタクル』と何度も言われていたように、相反する意味を常に持った作品であると分かりやすい言葉で批評されていました。
勿論、北京オリンピック開会式のビックフットについての状況説明にもあったような、実際にスペクタクルなところに蔡さんが強く惹かれているのは間違いないのだが、そう、常に相反するところを意識していては中途半端に終わってしまうので、振子のような関係性で、作家本人としては一方にいるのだけれど、最終的に(最終的にっていうとなんだか違うけれど)反対側にもいる、ということで、やっぱり第一印象そのままにスペクタキュラーであることは間違いなく、浅田さんも何度となく『危険作家である(笑)』と言われていたように、ヒロシマ賞受賞者にかなりキワドい作家であるとも言われていた。
チム・ポムと言われるアーティストユニット?などと全く違うのは、危険作家であると言われる程の作品でありながらもそこに静寂と知性(理性)が垣間見られるからであり、特にその静寂(爆音に対しての静寂だけではなく、空間的、視覚的にもという意味で)といったら素晴らしく美しいのである。
おっと、対談の覚書だというのに、対談の話をしていない…!

話題としては、現在NYに移り住んで活動されているが、それまでに日本での実績とそこで培ったものの大きさを話された。
20世紀のシンボルマークは『キノコ雲』であるとも言われていた。キノコ雲に関する作品(パフォーマンス)をスライドで流しながら解説。
核爆弾などの大量破壊兵器を使用する戦争を経て、21世紀は9.11以降テロなど体に爆弾と釘を巻き付けたり、ナイフが凶器になった時代であり、誰が敵か見方か分からない、明るい真っ昼間に突然人が死ぬという『不安』の増殖する時代だといい、黒い煙を使う作品へと移行。
ニューヨーク?での一日一発ズドンとやる作品の裏話など。(午前中だったか。半年間続けた作品)
世界各国での黒い煙の花火の作品の説明など。
車がクラッシュするネオンなどを使った作品の解説など。
透明なガラス板にぶつかる動物の作品、インスタレーションの解説。
戦争機械の話。(by 浅田氏)
印象的だったというか、感心したのが、9.11同時多発テロを勿論悪いと言いながらも、同時に思いの向かう先に着目した蔡さんの言葉。同じ人間ですからね、と。
蔡さんという人はやっぱり繊細な人なのだろうな、と思った。
ガラス板にぶつかる作品は、結構切実なので本物をみることができるといいな、と思った。
非常に曖昧に表現されたのがまた印象的だった。
そこははっきりと言語化しない方がいいのだと思った。
浅田さんもそれについて特にまとめることもなかった。
強い思いがある方向に強くあるのに、そこに見えないガラス板があって、そこにぶちあたって、死ぬ、ということを言われていた。
統制された社会システムの中で人が行き場をなくしたり、見えない力で押さえ込まれたり、気付かないうちに強い力に封じ込まれるといったニュアンスに加え、突然の死という衝撃が加わった感じだろうか。
見えない、明るい、突然の死、激しい死・爆発・衝突、そこにある美
というキーワードで現代の社会に感じられるものを作品にしているのかな、と思った。

普遍的なものに、時代性を取り入れ、同時に作品として美しく仕立てることのできる作家は現代では高く評価されているように感じるけれど
蔡國強という人はまさに現代美術に求められる人だな、と感じる。

自身でも言われていたように、分かりやすいコンセプトであること。
しかしながら、分かりやすいとは言うが分かりやすい文章で、という意味ではない。伝わりやすいという方が分かりやすいかもしれない。回りくどかったり、かなり頭で整理しないとコンセプトと作品が結びつかない作家は五万といて。勿論全部が分かる必要はないのだが、確かに蔡國強氏は分かりやすい方だとは思う。例えば戦争などをテーマにするのもそうだが、危険作家と言われるのはつまりそういうことだとも思う。
水戸芸に宮島達雄氏の対談を聴きに行った際、全く同じ様なことを言っていた。
政治的なことをアートワールドの人たち(芸術という枠の中にいる人たちのこと)はとても嫌う、と。
人々がタブーにするものに真っ向から立ち向かう作家は、危険作家だ。
私が好きな作家は殆どがそうだけれど。

そうした作家がヒロシマ賞を受賞することについて浅田氏は何度も『よくもまぁこんな危険作家を選んだものだ、と。ヒロシマ賞もすごい度胸をしている。勿論それは大正解なのだけれど』と言っていた。そういって蔡國強氏の魅力を表現し、ヒロシマ賞を褒めたたえた訳だけど、浅田さんの喋り口はやっぱり爽快だなぁと思った。
と同時に紳士的にまとめ、すすめていかれる態度がとても好感が持てる方でした。
(つまりちっとも乱暴でもなければ粗野でもないということ。あんなに元気よくリズミカルに話されるのに)

その対談は1時間半あったのだが
その後、美術館はこれからどうあるべきか、みたいなテーマのシンポがあった。
四人のパネリストが順に今後の美術館の役割について発表?する進行で
私は、蔡國強氏、国立国際美術館館長 建畠 哲氏までの話で帰りのバスの時間に合わせて常設を観に行った。(美術館で走ったのは初めてでした!というか朝から走りっぱなしだったね!)
金沢21世紀美術館を設計した妹島 和世という人の話の途中で出て行った。
正直妹島さんの話はつまらなかったので、何もなくても途中で出て行ったかもしれない。(最後に浅田さんの話まで待っていたとは思うけれど)
クライアントあっての設計士であるので、クリエイティブではない、というのが私の考え方で、デザイナーも同様に、『創る』人達ではないので、話す内容は面白いと感じれない。
最近もの作りをする人達全般をクリエイターというけれど、創造者という崇高な言葉で飾り付けるのはどうかと思う。話が逸れそうだけど、つまり妹島という人の話は面白くない(のに一番ツンとして偉そうだった)
建畠 哲さんという人がでも凄く面白いことを言っていたので、こりゃいい、と思った。
『多目的は無目的』とバッサリ切ったのが痛快でした。
近代、現代、西洋、アジア、様々な美術館に細分化される一方で、縛りをよりきつくしているとか、言っていたような気がする。ちょっと滑舌的な問題でヒヤリングに苦労しました。
二割、蔡さんの提唱される『なんでも美術館』のような、なんでもありな美術館があればいいと思う。しかも殆ど失敗する、ということを力説されていたので、作家サイドな人なのだな、と思った。
殆ど失敗するんだけど10回くらいやってたらたまになんかぽっと凄いのが出て来たり、と。
実際は美術館としてはありえないんだけど、そのくらい自由でパワフルな作家もまた必要だということでしょう。
学芸員自体もとんでもない人がちょっとはいていい、ということでもあると思います。
その後の妹島さんはそりゃ何も言えなくなるよな、と思うと案の定『お二人の話を聞いていたら頭の中が混乱してしまったのですが』結局金沢21世紀美術館の話などをされていました。
多目的スペース、開かれた美術館、みたいなそういうテーマだったので、条件を真面目に守られたからこそコンペで勝ち抜かれたのでしょうけどね。
自身でも言われていたように、全部がそうなってはやはり面白くないと思います、とのことでした。
金沢21世紀美術館は、外から中の様子が見えるので確かに入りやすい印象を与えていました。
美術館=敷居が高いという人も沢山いるとも思われるので、そういった意味では地域にも浸透していくと思うし、解放されたスペースが割と広くて(有料のスペースの方が狭いのでは?というくらい)開放的なんだけど、私は最近の新しい美術館の傾向として、順路などがないので自由に観て回れるのが逆に美術館の建物が主張し過ぎてウザイっていうのがあります。私だけかもしれないけれど。建物が主張してどうするよって、思ってるのは私だけかもしれませんが。まっさらなホワイトキューブであるにも関わらずかなり主張しちゃってる。サイトウマコト展はヒドかったので、今のところいい思い出がないので、次回良い展示を観て金沢21世紀美術館の印象を挽回したいと思います。

ということで、途中でシンポジウムを抜け出し、常設へ駆け込みました。
作品数多し。最初にナム・ジュン・パイクの作品がドーンとあった。
じっくり見る時間もなく、殆ど駆け足で観ました。
相変わらずいい作品が多い広島市現代美術館。
もうスタンプたまって二回タダで展示を観ましたよ。

いつも帰りは時間がなくて、広島サティから紙屋町にある広島バスセンターまでタクってしまうのだけど、バスで行けるように時間と乗り場を調べて、次はもっと時間に余裕を持って行きたいです。
(でも日帰りだったらこれが限界かなぁ。もう一本遅いので帰っても良かったのか。)


※戦争機械の話と織り交ぜて蔡國強氏の作品を解説されたのを詳しく書きたかった。


↓写真は本文と無関係です。横浜トリエンナーレ展示作品。
横浜トリエンナーレ12
いじわる
寝たふり   0 0

thema:美術館・博物館 展示めぐり。 - genre:学問・文化・芸術
















 

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