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『マーティン・クリード MARTIN CREED』展@広島市現代美術館
『マーティン・クリード MARTIN CREED』展
会期:2009年5月23日(土)~7月20日(月・祝)
会場:広島市現代美術館


広島市現代美術館にて『マーティン・クリード MARTIN CREED』展観て来ました。
作品数はそんなに多くありませんでしたが、アジア初の展覧会ということで、必見です。
2001年にターナー賞を受賞して以来、国際的にも注目を浴びるようになったということで
美術手帖なんかで見た事あった、くらいの遠い方だったのですが
今回、広島市現代美術館という箱での展示。
感想はというと、まぁ、空間に依る作品というか、現代の、現代による、現代のための作家、という感じなので、つまり環境や、評論家の影響を強く受ける作品なので
あたくしはあんまり感動しなかったというか。
物自体に力はなく、懐かしのミニマリズムとか、日本国内に於いてのモノ派、またマルセル・デュシャンみたいな、やったことに対する評価の方が強い作風というか?
コンセプチュアル・アートってことで。
『ライトが点いたり消えたり』という作品は、二番目の何もない部屋の照明が点いたり、消えたりするだけの作品である。
これがターナー賞作品というのだから、よっぽどイギリスもネタがなかったのだろう。
かなり私見が出ちゃいましたけど
あたくしがなぜこういう作品を観て満足しないかというと
例えば、今回広島市現代美術館に合わせて作られたというブロッコリーの魚拓と、比治山公園のもこもこ生い茂る木々の見える窓のカーテンが開いたり閉まったりする作品はセットだったらしいのだが
このカーテン、自動で開閉されるのだが
光を取り込むところが作品らしいのだ、光や、ま、ブロッコリーとセットであるならば、あの木々が見える風景もセットなのかもしれないが。
それは、言われないと分からない訳だ。
答えが、決まっているのだ。
芸術はなぞなぞじゃないんだ。
答えがあって、ああ、そうですか、じゃ面白くないじゃないか、と。
最初の展示室でこれだったので、少しやる気が失せてしまった私はその後も意味深で、且つ窮屈な作品たちに辟易することになる。
なぜ、そのカーテンにガックリさせられたかというと
そんな意図よりも、遥かに自動で開閉されるカーテンの動き自体の方が奇妙で面白かったからだ。
黒いカーテンが開いたり閉まったりするのがコミカルに見えたのだ。
そこに解説が加わり、こうですよ、と言われた瞬間に萎えるのは当然のことではないのか。
終止作品達はその調子で続くのだ。
ミニマリズムもコンセプチュアル・アートも一度やってしまえばもう終わり。
誰もが出来るアートで、誰がやったとかそういうのは大して意味を持たないというところが醍醐味であり、発想の転換や、ものの見方を提案するものであるかもしれないが、例えば人生の楽しみ方といっても過言ではないかもしれないけれど
その態度というのは、どこかこれまでの鑑賞者を嘲笑しているという雰囲気があるのだ。
結局のところ、美術界で食べている人間が、美術界に君臨するために評論家に媚びをうっている当本人たちがそれをやるのだから私は気に食わないのだ。
面白い発想をする人間や、驚きの行動をする人間、想像もできないものを作り上げる人間は
どこにでもいるのだ。
それを美術館でやりたいがために彼らはその場所で、嘲笑という態度で臨んでいるのかもしれない。

観る方も疲れるのだから
作る方も大変疲れるだろう。



地下の展示室では
映像作品がシリーズで展開されているのだが
今回の映像作品は非常に良かった。
これは言葉で説明されていないのに、全く完全に表現しきっているのである。
頭の中にもやもやしたものを綺麗に表現されるとこちらはかなり爽快だ。


常設展示も、今回も良かった。
コレクションを上手に扱っていると思った。
作品の価値を分かっていると思う。
毎度毎度、ちゃんとテーマを持って展示されているこれらのコレクション作品たちは幸せだと思う。
(普通常設なんて、ただ並べて終わり、なのだから)

広島市現代美術館

いじわる
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thema:美術館・博物館 展示めぐり。 - genre:学問・文化・芸術
















 

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