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『被爆した幼子を背負う長崎の少年-1945年』|長崎県美術館-ロバート・キャパ[その生涯と作品]展-
被爆した幼子を背負う長崎の少年-1945年
この作品を見たくて、長崎県美術館にてロバート・キャパ[その生涯と作品]展を観に行って来ました
この写真は、今回このロバート・キャパ展の特別出品として、ジョー・オダネルというアメリカ軍の報道カメラマン(今年84歳)が撮影したものだそうです。
残念ながら長崎県美術館でこの写真のもので販売されているものは一つもなかったのですが(なので私はロバート・キャパの『戦争と子供たち』という写真集を買いました。)
この写真だけでも絶対に見た方がいいと思いました。
ネットを検索すれば出て来ますが、展示されている写真は大きく、この少年の表情がよく分かり
小さな画像で見るそれとは全く違いました。

<!--以下展示されていたジョー・オダネル氏のコメント-->
佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意思が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか?白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊をゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…。
<!--ここまで-->





今年の夏は
広島の原爆資料館にも行って来ました
長崎県美術館での企画展示、そして常設もとても良い展示でした
常設展にも、凄まじい写真の展示がありました(名前を忘れてしまいました。日本人の方が写された写真です)

安倍首相が、広島での平和記念式典で心にもない事を言っているのを聞いて悲しくなった月曜日の出勤途中の朝
安倍首相の本心は分かりませんが
被爆した人もそれを聞いていると思うと
とても悲しい気持ちになりました

土曜の夜
東京の知人から電話があり
ワーキングプアの現状を聞いていると、また悲しくなりました(本人がワーキングプアの自覚があるのか確認は出来ませんが、おそらく彼は分かってその道を選んでいると思います。本人にその問題を出すのも気が引けるので、ただ私は「この流れはとても良くないよね。とても良くないよ」とだけ言いました。そうすると彼は「君はじゃあそういう事が分かっている感じなんだね」なんて笑いながら言われましたが、その場は笑って話を終わらせました)
政府の関係で働いている友人ともそういった話をするのですが(ダイレクトにそういう話題をする程私たちは情熱がない、と少し思います。学生運動をしていた父の影響もあって私もほんの少し政治経済に関心はありますが、議論する程ガッツがないのは、私たち若者の空気なのでしょう)
その友人も「ここ数年前から、少し器用な事をすれば大金が入って来る世の中になっているのは確かだね」と言っていたし

私は何につけても勝ち組とか負け組とかで人を判定していた時期、急速に金原理主義の世の中に入って行ったと思っています
仁義も誇りもなく、多くの人が恥ずかしい日本人になっていったと感じています
自分さえ良ければいい、というような、金を持っていればどんな事でもできる、というような恥ずかしい日本人

金はなくとも尊敬されていた武士のような心は今はどこにもないのではないのかな、と思ってしまいます


被爆した幼子を背負う長崎の少年-1945年
この写真には、昔の日本人らしさを見る事ができるとも思います
それから、これはテキストとして流す事を少々ためらいますが
悔しさとか、恨みつらみのようなものも、私は忘れてはならないと思います
それを乗り越えて、平和を唱わなければ意味がないと思っています
原爆を落とされた事で日本はここまで高度成長を成し遂げたとか文化を築いたと言わんばかりの、アメリカで馬鹿な展示をした現代美術家や、「しょうがない」発言をした馬鹿もいますが
アメリカ人に刺される思いで恨みつらみをあえて前面に作品として発表する人もいます

国益や国防の事を優先するのもいいですが、民族としての誇りや情感も忘れてはならないとも思います
※私は右ではありません

今、賢明な道へと導く人がいないと感じています

でもそれは国民全体の空気がそうさせていると思います
バブルが弾けて辛いばかりの不況を乗り越え、内容はどうでもよく、ただ金儲けをした人が賞賛されるという恥ずかしい日本人になり、能力の有無に関わらず働いても働いても生活ができない人がたくさんいて、でも誰も相手にもしない。地域格差も加速し(地震の関係で遷都の話もあるようですが)心というものがどこにもない気がして、とにかく悲しいです


みんな、何も見えないふりをしているのでしょうか
何も気付かないふりをしているのでしょうか


この国に生まれて良かった、と生きているうちに思える事を望みます

20070813212949.jpg

いじわる
寝たふり   0 1

thema:美術館・博物館 展示めぐり。 - genre:学問・文化・芸術
















 

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写真の美しさは言わずもがな。。。被写体もバラエティに富んでおり、キレイな写真の中からその匂い、空気さえも感じてしまうのは作者の被写体への愛情が成せる業だろうか?30年程前の土地と現代の土地の比較などもされており、沖縄の遍歴を知るのにも一役かっている。沖縄好
| 地球の歩き方を攻める | 2007.10.02 00:21 |
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